なわとびの歴史

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 「龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人ながら学校は育英舎なり、去りし四月の末つかた、桜は散りて青葉のかげに藤の花見といふ頃、春季の大運動会とて水の谷の原にせし事ありしが、つな引き、鞠なげ、縄とびの遊びに興をそへて長き日の暮るゝを忘れし」
 樋口一葉の「たけくらべ」の一節です。
                                                                   この一節からは、いろいろなことが想像できます。
 まず、この文は、「たけくらべ」の七の冒頭に出てきます。
 「たけくらべ」の七は、明治28年(1895年)、一葉24歳のときに書かれました。
 「たけくらべ」は、明治28年の1月から、翌年29年の1月まで、「一〜十五」を「文学界」に掲載しました。
 この七は、明治28年の3月に発表されました。
 当時、一葉は、本郷丸山福山町に住んでいました。
 明治27年(1894年)5月からです。
 このあたりは、新開地で、銘酒屋が多く立ち並んでいたといわれています。
 その前に住んでいたのは、下谷竜泉寺町で、俗称大音寺前というところでした。
 一葉はそこで、荒物、駄菓子などの店をやっていました。
 本郷丸山福山町でもお店を開いていたのかどうかわかりませんが、この頃から執筆活動をさかんにしていたので、本郷に来てからは、お店はやってなかったのではと思います。
 「たけくらべ」に出てくるこの縄とびというのは、下谷竜泉寺町で子どもたちがお店に来て、駄菓子を食べながら縄とびをとんでいたのを見て、書いたのでしょうか。
 それとも、本郷丸山福山町の子どもたちの様子を見て書いたのでしょうか。
 一葉は、明治十年(1877年)6歳のとき(幼名まつ)に、3月から本郷学校に入学、秋には本郷4丁目にあった私立吉川学校に転入学しています。
 その頃に縄とびをとんでいたのでしょうか。
 「たけくらべ」で、育英舎の春季運動会で、信如と美登利がとんだのは、長なわとびなのでしょうか。それとも、短なわとびなのでしょうか。
 またその縄は、どんな縄だったのでしょうか。
 ビニールはなかったと思うので、やはりわら縄でしょうか。
 また、春季運動会というからには、秋季運動会もあったのでしょうか。
 運動会というのは、イギリス人のストレンジという東京大学予備門の英語教師が、明治16年(1883年)10月に東京大学の運動場で、初めて人に見せる運動会を開いたのが最初といわれています。
 「たけくらべ」を一葉が書いた明治28年ごろには、小学校にも、普及していたのでしょうか。
 また、縄とびの「遊び」といっているので、どんな遊びなのでしょうか。
 江戸時代末期から続いていた遊びなのでしょうか。
 子どもの遊びにも、明治維新(1868年)があったのでしょうか。
 たくさんの疑問がわいてきます。
 樋口一葉は、大好きですし大ファンです。
 まず、樋口一葉の「たけくらべ」の疑問を解明しながら、なわとび歴史ワールドのページを作っていこうと思っています。
 気の毒なことに、一葉が亡くなったのは、明治29年の11月23日、齢25歳でした。
 まさに「夭折」の一語です。

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