今月の名歌 2020(令和2)年

                                        
2003年の「小六教育技術」1月号の「カルタで覚える日本の名句」という特集記事が好評だったので、和歌・短歌のカルタも作ることになりました。

古典の和歌、百人一首から、近・現代の短歌までたくさんの名歌の中から48首を選んで、カルタにしたのです。

2003年「小六教育技術」6月号の特集「カルタで楽しむ日本の名歌」で
掲載されました。

その中から、毎月一首を載せていこうと思います。

                                         

2020(令和2)年4月

 「東海の 小島の磯の白砂に 
         われ泣きぬれて 
             蟹とたわむる」

                 石川啄木



歌集「一握の砂」の「我を愛する歌」の巻頭歌です。

このあと「砂」を読んだ歌が十首続き、まさに「砂」の歌集になっています。

「一握の砂」は、わたしが高校時代によく読んだ歌集です。

父が亡くなってしまい、貧しい高校生活の中で、わたしの心を最も慰めてくれたのが啄木の歌でした。

「はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりじっと手を見る」も「一握の砂」にありますが、自分の環境とまったく同じでした。

この歌は、海→島→磯→砂と、巧みな遠近法を用いた映像的な構図で、俳句の与謝蕪村のような歌作りが工夫されています。

この磯は啄木が住んでいた函館の海岸のようですが、スケールの大きな海岸で蟹と戯れている極めて小さな自分という、人間の卑小さをあらわしているというというところが、高校時代の自分も感動しました。

他には、啄木の「三行書き」のめずらしい歌作りもとても新鮮に思いました。

石川啄木は、「一握の砂」を出版して二年後に、27歳の若さで此の世を去りました。

まさに夭折の一語です。



2020(令和2)年3月

 「ひとはいさ 心もしらず ふるさとは
    花ぞ昔の 香ににおいける」

                 紀 貫之



百人一首からはこの歌を「カルタで楽しむ日本の名歌」の中に入れました。

「カルタで楽しむ日本の名歌」の中には百人一首からは12の歌を選んだのですが、百人一首12、古典12、女流歌人12、近・現代12の48を選ぶのはとてもたいへんな作業でした。

でもこの歌には、「こころ」、「ふるさと」、「花」など子どもたちにとってもとても親しいやさしい言葉が多かったので、入れることにしました。

人のこころの中はどうでしょう、わたしにはよくわかりませんが、なじみの深いこの土地は、たしかにウメの花が昔とかわらずによい香りをただよわせていますね、というような意味でしょう。

久しぶりに訪ねた貫之に向かって、主人が「このようにあなたの泊まる宿はあるのに、(なぜいらっしゃらないのですか」と疎遠なこころを皮肉ったのに対しての貫之の返答がこの歌です。

ふるさとの自然は確かに昔のままですが、そこに住む人の心までは定かではないと貫之が返したのです。

この主人というのは女の人と見る見方もあるようですが、男同士の即興の挨拶と見るのが普通だそうです。

ここでの「花」は香りがあるというので、桜の花ではなく、もちろんウメの花です。



2020(令和2)年2月

 「たとへば君 ガサッと落葉 すくうように
    わたしをさらって 行ってはくれぬか」

                 河野裕子



この歌は、カルタつくりをするまでは知らなかった歌です。

俵万智の「サラダ記念日」は知っていたので、口語の短歌は少しは知っていたつもりでした。

ところが「たとえばね、君。ガサッと落ち葉をすくうように私のことをさらってくれればいいのに」というような直接的な恋の表現にはびっくりしたのです。

河野裕子さんというのは、戦後生まれの歌人であることこの歌とともに知りました。

小学6年生がするカルタに載せるのはどうしたものかと悩んだのですが、女流歌人としてはとても優れた表現であると思い、載せることにしました。

和歌や短歌には恋を歌った歌が多かったのですが、これほどわかりやすく、すっきりとした恋の歌はあまりまりません。

短歌で表現できるすばらしい表現力も感じた歌でした。






2020(令和2)年1月

 「石走る 垂水の上の さわらびの
    萌え出づる春に なりにけるかも」

                 志貴皇子



最初の歌は、春のおとずれの喜びを表したこの歌です。

もちろん、「カルタで楽しむ日本の名歌」でも、古典の名歌のいちばんにこの歌をいれてあります。

「万葉集」の春の雑歌の巻頭に載っています。

岩の上をほとばしる清く住んだ滝の水の流れと、そこに芽生えてくいるわらびが春のおとずれを感じさせるというさわやかな歌です。

志貴皇子(?〜716)は天智天皇の皇子です。

天智天皇が亡くなったあとにおきた673年の壬申の乱では、大海人皇子(天智天皇の弟)と大友皇子(天智天皇の息子)が争ったのですが、大海人皇子が勝利して天武天皇となります。

ところが、微妙な立場であった志貴皇子はその後もずっと生き続け、壬申の乱から40年余り生きてなくなったのです。

こうしたさわやかな歌を歌った志貴皇子というのは、とても自分の立場を考えた清らかな人であったと思うのです。

この歌を古典のいちばんに載せたのは、こうした背景を考えてのことでした。