今月の言葉 2020(令和2)年

                                        
さまざまな本を読んだりしながら集めてみた言葉です。

ぜひ、子どもたちに教えてあげてください。


2020(令和2)年4月

 「新習慣 マスク 手洗い 体温計」



新型コロナウイルスが蔓延し始めました。

1月頃は、中国の武漢ではやっているらしいとの報道があり、まったくしょうがない国だなと思っていたのが。

2月の旧正月に全世界に飛び火して、日本でも第1次の流行ガ始まりました。

これは読売新聞に載ったコボちゃんの「コロナに負けない標語」第1回です。

4月14日に掲載されました。

新型コロナウイルスの流行をマスクや手洗い、体温計などで少しでも防げたらとの意味です。

東京都などは、一日に100人以上が感染しています。

アメリカやヨーロッパなどの世界ではもっとたくさんの人が感染しています。

亡くなる人もたくさんいるようです。

特にお年寄りは感染すると高熱がでて、亡くなる率が高いようです。

困ったウイルスが流行し始めました。

どのように防いだらよいのでしょうか。

令和2年はたいへんな年になりそうです。

東京オリンピックやパラリンピックはどうなるのでしょうか。

(読売新聞・第3社会面)



2020(令和2)年3月

 「精出せば 凍る間もなし 水車」



総理大臣田中角栄の言葉です。

田中角栄は、「勤労」を大事にしていたといわれています。

額に汗、黙々と誠心誠意で体を動かしてこそ勤労です。

昭和48年の総理大臣時に全国勤労青年会館の開館式での言葉です。

「わたしはその中で、勤労というものがいかに大切であるか、勤労ということを知らないで

育った人は、不幸だと思っています。本当に勤労をしながら育った人の中には、人生に対

する思いやりもあるし、人生を素直に見つめる目もできてくるし、わが身に比べて人を見

る立場にもなり得るわけでありまして、わたしはそれは大きな教育だと、また教育だった

と考えている。本当に病気をしてみなければ、病気の苦しみがわからないように、本当に

貧乏しなければ、貧乏の苦しみはわからないという人がありますが、勤労しない人が勤労

の価値を評価することができるでしょうか。」


精を出して勤労をすれば、水車は凍ることがないのです。

私も口先だけで世の中を渡ることがないようにと、勤労の大切さを日々心に留め仕事に

励んでいました。

(「究極の人間洞察力」 小林吉弥著・講談社α文庫)





2020(令和2)年2月

 「後藤田五訓」

五訓の一 「省益を忘れ、国益を想え」

五訓の二 「悪い本当の事実を報告せよ」

五訓の三 「勇気を以て意見具申せよ」

五訓の四 「自分の仕事でないと言う勿れ」

五訓の五
  「決定が下ったら従い、命令は実行せよ」



初代内閣安全保障室長をつとめた佐々淳行氏の本に書いてあった言葉です。

佐々氏は、「連合赤軍浅間山荘事件」で、警備幕僚長を務めたことで有名です。

後藤田正晴官房長官が、1986年7月1日総理府の内閣五室制度発足式典で示した訓

示がこの「後藤田五訓」です。

わたしはこの五訓の中でも、校長時代は、五訓の二「悪い本当の事実を報告せよ」を自

分の経営方針の一つとして大切にしていました。

現実には、聞きたくもない悪い報告は避けたいものです。

でも悪い報告だからこそ、早めに手を打てば、損害が大きくならないのです。

危機管理で最も必要なのは、これです。

校長として、なんとか過ごすことができたのもこの五訓の二を守ったからでした。

(『重大事件に学ぶ「危機管理」』 佐々淳行著・文春文庫)




2020(令和2)年1月

 「戒石銘」

爾 俸 爾 禄

民 膏 民 脂

下 民 虐 易

上 天 欺 難



「読み方」

爾の俸 爾の禄は (なんじのほう なんじのろくは)

民の膏 民の脂なり (たみのこう たみのしなり)

下民は 虐げ易きも (かみんは しいたげやすきも)

上天は 欺き難し (じょうてんは あざむきがたし)


「意味」

お前のもらっている給料は、

農民が脂して、汗を流して働いたたまものの税より得ているものである。

おまえは農民に感謝し、いたわらなければならぬ、また、まじめに公務に励まねばならぬ

この気持ちを忘れて、弱い農民を虐げ、いい加減な気持ちで働いていると、天はお前を

見捨て、きっと天罰があるであろう。

・今から20年ほど前に校長会の研修旅行で、福島県の二本松城に行ったときに、その

お城にあった大きな石に書いてあった「戒石銘」です。校長として校長室にこの詩を飾り、

自分への戒めにしていました。

作ったのは、福島県二本松藩主丹羽高寛です。

銘には、寛延己巳之年春三月と書いてありました。

徳川9代将軍家重(8代吉宗の息子)の時代です。