文部科学大臣賞表彰!        

文部科学大臣賞表彰を受賞しました。
「学校安全の普及と向上に尽力し多大な成果を挙げた」というのが表彰理由です。
学校安全教育には、あの宮崎勤事件(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)の時に関わり、それ以来退職するまで学校安全教育の推進に努めてきました。
なぜ宮崎勤事件の時にかというと、入間地区安全教育研究会の事務局長だったからです。
入間地区というのは、埼玉県西部地区のことで、川越市、所沢市、狭山市、坂戸市、飯能市、入間市、富士見市、ふじみ野市等のことでした。
ちょうど、国道16号に沿った15市町村を含む地区です。
この入間地区の入間地区安全教育研究会会長を務める校長の、勤務する学校の安全教育主任が事務局長を務める決まりになっていたのです。
久保田はそれまではずっと体育主任に携わっていたのですが、教頭試験に合格して人事異動になり、異動した学校には先任の体育主任がいたので安全教育主任になったのです。
安全教育に関わったのは、こうした偶然があったのです。
宮崎勤はこの入間地区、つまりこの16号沿いで幼児を相次いで誘拐して殺害したのです。
事務局長として、小学生の被害者を生まぬようにと全力で対応しました。
毎月、各市町村の安全教育研究会会長(校長)と代表理事(安全教育主任)を集め、各市町村で児童への十分な警戒と指導にあたって欲しいと指示していました。
また、教員も登下校の付き添いや公園の見回りなどに気をつけるように指示し、小学生の誘拐防止に全力であたりました。
そして、宮崎勤は、1989年(平成元年)7月23日逮捕されました。
私も、翌年1990年(平成2年)4月には教頭として着任し、安全教育については教頭会での担当だけということになり、少し離れた感じがしました。
1995年(平成7年)4月に校長に着任しました。
1997年(平成9年)6月に、また二つ目の偶然が起きました。
「以前入間地区の事務局長をやっていたよね。埼玉県の監事を引き受けてもらえないだろうか。」という電話が入りました。
教頭として仕えた校長が退職したのですが、埼玉県安全教育研究協議会の監事を務めていたのが、退職前に後任を決めていなかったのでした。
「校長3年目なのでまだ無理ですよ。」と固辞すると、「監事は2名で、もう1名は中学校の校長でベテランの人だから大丈夫だよ。年に1回会計監査のために出張するだけなので負担になならないよ。と押し切られてしまいました。」
こうして、埼玉県安全教育研究協議会監事になったのです。
監事になって5年目、三つ目の偶然が起きました。
埼玉県安全教育研究協議会の副会長は、全県を5つの地区に分け、各地区から1名ずつ選ばれることになっていました。
それが、2001年(平成13年)6月、西部地区から選ばれていた副会長(校長)が、現職で急死したのです。
大阪の池田小学校で付属池田小事件がおきて、小学生8名が殺害され、学校での安全教育の重要性が叫ばれ、世の中が騒然としていました。
そして、年に1回行われる総会直前だったので、「西部地区代表の副会長には、5年目になる監事の久保田を充てることにする。」と会長が決定し、理事会に提案し承認されたのです。
こうして、副会長に就任することになりました。
副会長になると、年に1回だけというわけにはいかず、2か月に1回行う理事会や会長・副会長会などかなりの負担になりました。
また、埼玉県安全教育研究協議会は毎年研究冊子を1冊作っていました。
この作成作業は、おもに夏季休暇中を充てていましたので、夏休みにも全県の理事(安全教育主任の代表理事)を集め、冊子作成を行っていました。
また、その校正は、2学期末の冬休みという中で進めました。
そして2月の全県最後の理事会で配布され、3月末には、全県の小・中学校に配布しました。
これが1年間のスケジュールでした。
こうして副会長として、安齋祥造氏、奥野明彦氏、吉田芳雄氏、成迫俊美氏、森田博明氏の5人の会長を支え、仕事をさせていただきました。
また2007年度(平成19年度)には、埼玉県安全教育研究協議会の会長として、1年間会長職を努めさせていただきました。
平成9年からずっと、埼玉県教育局県立学校部保健体育科の諸先生方、埼玉県安全教育研究協議会の皆様方には、たいへんにお世話になり大過なく責任を果たすことができました。
そして、2008年(平成20年)11月6日には、新潟県で行われた第58回全国学校保健大会において、文部科学大臣賞表彰を受けることができました。
これがその表彰状です。



文部科学大臣賞の表彰状は、表彰状の真ん中に「文部科学省」という透かしが入っているのです。
これにはびっくりしました。
さすが文部科学省です。
拍手。拍手。です。




表彰式は、新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」で、平成20年11月6日(木)に行われました。



文部科学大臣表彰の受賞者の名前は、読売新聞の埼玉版に掲載されました。



新潟県で表彰された文部科学大臣表彰の教育関係者の受賞者は、全国で2名でした。
それだけで、ものすごい表彰なんだなと感じています。

2008年(平成20年)6月17日には、埼玉県安全教育研究協議会総会を行い、後任の会長職を細田俊雄氏に引き渡し、会長職を退くことができました。
そこで、最後の安全教育での偶然が起きました。
なんと安全教育に最初に携わり、戦ったあの宮崎勤の死刑が同じ日に執行されたのです。
宮崎勤の死刑は、2008年6月17日東京拘置所で執行されました。
安全教育で「宮崎勤と戦った男」と言われた男が埼玉県の会長職を退いた同じ日に、最初に安全教育で戦った宮崎勤が死刑執行ですから、なんかの因縁を感じます。

さて、2009年(平成21年)1月20日(火)には、平成20年度の埼玉県学校健康教育推進大会がさいたま市の埼玉会館大ホールで行われました。
この大会は、毎年、埼玉県で学校保健・学校安全・学校給食で成果を上げた優良学校を表彰する大会です。
その席上で、文部科学大臣賞の受賞者に埼玉県学校保健会から記念品をいただきました。
記念品はこのような時計です。



私は、いくつもの偶然が重なって、安全教育を推進することになったのですが、自分の与えられた道を着実に努めていくことが大切だなと感じています。
これからも、学校の安全教育・安全文化が成長をしていくことを願っています。
市報に載りました。

これは、ふじみ野市の市長室で撮った写真です。ほんとは、市長さんと一緒に撮った写真もあったのですが、一人のほうが載りました。実は、市報に載るのは、これで3回目なのです。1回目は、市民体育祭の800メートル競走に出た時、2回目は、埼玉県のシラコバト賞をもらった時、そして今回です。良い記念になりました。



拝啓 街の中にクリスマスツリーが見られる晩秋の候となりましたが、皆様におかれましては、ますますご健勝のこととご推察申し上げます。
 さて、私ですが、埼玉県安全教育研究協議会には、平成9年から監事として4年、平成13年からは副会長として6年、そして昨年19年度は会長として1年、計11年もの長い間在籍し、安齋、奥野、吉田、成迫、森田会長の5人の会長と一緒に仕事をさせていただきました。また、この間、県教育局県立学校部保健体育科の諸先生方、埼玉県安全教育研究協議会の皆様には大変お世話になりありがとうございました。皆様のご支援・ご協力の支えられまして、微力ながら大過なく責任を果たすことができました。
 そして、今月11月6日には、新潟県で行われた第58回全国学校保健大会におきまして、文部科学大臣賞という自分にとっては身に余る賞をいただくことができました。これも皆様のおかげと感謝の気持ちでいっぱいであります。しかし、この賞は私個人にいただいたというよりも、埼玉県の安全教育を推進する埼玉県安全教育研究協議会の地道な活動をお手伝いしていただけた賞であり、埼玉県安全教育研究協議会が文部科学省からいただいた賞であると思っています。
 大阪の池田小学校における事件や秋葉原での無差別殺人事件など、安全教育・安全教育思想の普及がますます重要視されています。また、児童・生徒の安全を守るための学校の危機管理なども大変に厳しいものになってきています。そんな中で、皆様とともに安全教育に力を注いでこれましたことを本当にうれしく思っております。宮崎事件の時に、入間地区安全教育研究会の事務局長として安全教育に関わり、以来20年、本年6月の総会で会長職を退きました。6月17日です。なんとその日に、あの宮崎の死刑が執行されました。これもなんかの因縁を感じます。これからも、児童・生徒が安全な学校で、安心して楽しい学校生活が送れますように引き続き努力してまいりたいと思っております。
 終りになりましたが、皆様のご健勝とご活躍、埼玉県教育委員会と埼玉県安全教育研究協議会のますますのご発展をご祈念申し上げ、お礼のご挨拶とさせていただきます。ほんとうにありがとうございました。

       平成20年11月吉日 前埼玉県安全教育研究協議会会長 久保田正己

文部科学省のページです。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/10/08101403.htm

指導用DVD「学級で指導する安全・防犯」(学研)のページ

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